故事ことわざとしては「鶏口牛後(けいこうぎゅご)」が正しく、
「鶏口」とは、鶏の口の意味から転じて、小さな団体の長のたとえ。
「牛後」とは、牛の尻の意味から転じて、大きな団体に従って使われる者のたとえ。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」とも読み、その意味するところは、大きな集団の中で尻にいて使われるよりも、小さな集団であっても長となるほうがよい。
若かりし頃には、そんな熱い志を持って企業の門をたたいたものでした。
でも私としてはその後出てきた「鶏頭龍尾」のほうが好きで、強く印象に残っています。
当時、1990年に東京大学の有馬朗人学長が入学式で「鶏口となるとも牛後となるなかれ」をもじって述べたもので、今の大企業たる巨大組織は牛どころではなく、もっともっと巨大で荒々しささえ兼ね備えているという意味で発した言葉ですが、一部で「誤用」ではないか、と当時はちょっとした話題になりました。時はバブルの真只中で、得体のしれない期待感に満ち溢れ、天井知らずの急成長にある日本経済の中心にあった時の大企業の姿は、まさに「龍」と呼ぶにふさわしいものだったのです。
さて、あれから30年。
時代は移り変わって、新型コロナウイルスの感染拡大が長期化し、人々の暮らし方や価値観が大きく変化しつつあるなかで、「龍」とまで称された大企業はどのように変貌したのでしょうか。
テレワークやリモート会議、オフィスを持たないサービスが充実し、雇用関係を持たなくても、自由な生き方を実践し、よりクリエイティブに、自分で考え抜く、自立した人間になって行くことが求められていると言われる時代になって、もはや自分のいる組織は龍なのか牛なのか、アタマもしっぽもなくなって、枠組みすらない、いったい自分はどこにいるのか?わかりやすいようで、どこかわかりにくい?あの熱い志も、今は昔。。。
「鶏頭龍尾」といわれても、これからの時代にはピンとこない人も多いと思いますが、あの頃の勢いとは全く異質の、これからの新しいクールな時代では、おのおのが知恵を絞って考えて、仕事をアウトプットしていく。受け身な仕事ではなく、積極的な仕事スタイルをモデルとするのならば、たとえ自分ひとりになっても「鶏頭龍尾」の志に通じるものはどこかにあるのではないかと、私はそう考えていきたいと思っています。