数にキビシイ英語、数にあいまいな日本語
「世界で最も偉大な科学者の一人」
「21世紀最高の映画の一つ」
こういう表現を見聞きしたとき、皆さんは「海外のニュースソースの翻訳かな。」とうっすら感じることはありませんか。
英語でおなじみの、 one of 最上級 の形を想起させるからかもしれませんね。
世の中にはすごい科学者や映画がたくさん存在する、そしてその中の一人やひとつにすぎないのだ、ということを正確に伝えています。ここに、英語文化の数に対する厳密さを感じるのです。とくに公共の電波に乗せて多数の人に届けるニュースなどでは、この意識は欠かせないという固い決意が見られます。
一方日本語では数に対して、どのくらい厳密なのでしょうか。
子供の頃、友人の家に遊びに行ったときのこと。
「猫を飼っている」と聞いていた私。ふーん。どんな猫かな。私になつくかな。と思って中に入って呆然としたのです。
通された和室にはひっきりなしに違う猫たちが出入りしているのです。友人は驚く私を見て「猫が次々友達を連れてくるうちにこうなった。何匹いるか分からない」と言うではありませんか。
「猫を飼っている。」 としか言わなかった友人。
何匹なのか確認もしなかった私。
もし二人が英語を使っていたなら、猫だらけの部屋に入った時のあれほどの驚きはなかったでしょう。最初からI have cats. と聞いていたら、How many? と、すかさず聞いたでしょうし、それなりに心の準備はできました。
このように数を意識しない日本語の傾向は、大人になっても顕著に見られます。
とある翻訳において、「当ホテルにはレストラン、スパ、プールにフィットネスセンター、宴会場とさまざまな施設がございます。」 という文に出くわすと、まず館内マップを見ます。なければ、担当の方に確認します。 要するに、それぞれの施設の名詞の前につける冠詞をaにするかtheにするか、はたまた複数形の sをつけるかを決めなきゃいけないんで地図見て数えたいんです、ということなのです。
こんなのもあります。
「イベント当日は専門家によるトークショーを開催!アイドルもやってきます!ぜひお越しください!」
すぐに、タイムテーブルを探し、出演者を確認します。専門家は一人か、トークショーは何回するのか、アイドルはグループか個人か、それが何組か、知りたいのです。
このように、英語でモノの存在を発信するときに、数量は必須なのです。
ただ、数をあいまいにしてやりすごせる日本語を使っていても、数に厳密になるときはあります。
居酒屋で注文するとき、店員さんに
「グラスは5個お願いします。(いま5人いないですけど後から来るんで)」
「ひと皿に焼き鳥何本ついてます?」
など、最初から結構細かいこと聞きますよね。乾杯のときに足りないといけないですし、幹事さんはここはしっかり揃えてきます。
もしくはミステリドラマのワンシーン。事件現場の状況を質問されて「確かテーブルにワインの入ったグラスがあったかも…」とボソッとつぶやいたら、すかさず刑事は息巻いてこう言うかもしれません。「グラスはテーブルにいくつありましたか?そこが重要なんです!よーく思い出してください!」
「ええと…と1つです、1つ!!」とあわてて答えることになります。
こういうやりとりは英語ではないだろうなと思います。
最初からa glass of wineと言うのですから、刑事にここまでつっこまれなくてすみます。
英語で発信するとき、モノと数量はいつでもセット。それが原則です。英語話者はいつだって、私たちが居酒屋の店員や刑事とやりとりくらいの数の正確さで話してくるし、相手にもそれを求めてきます。冒頭のようなフレーズを聞くたびに、英語の「数量クッキリ感覚」をキープしなければなぁ、と思うのです。