チカラ、キモチ…その日本語、なぜカタカナにするの?
生活のなかで目にする言葉は、カタカナにあふれています。
そのうち、いわゆるカタカナ語は洋語、外来語と呼ばれ、西洋から伝来した言葉がカタカナ書きになったものです。西洋料理のメニュー、医学用語、政治やライフスタイルなどの概念で多く使われ、最近ではIT用語などがほとんどカタカナ語です。
今回フォーカスしたいのは、カタカナ「気分」の語です。カタカナ表記の語といってもいいかもしれません。
お菓子やサプリなどの商品名や、テレビ番組や歌のタイトル、キャッチコピーになっているものの中によく見かけませんか?
〇〇のチカラ △△のキモチ キセキ ミライ ヒト モノ コト ・・・
いわゆる一般名詞を、意図的にカタカナ表記したものです。外来の概念や意味はなく、元々日本語なので、独立した語とはいえません。
一般的に、既存の語の語感やその語に対する評価は時間とともに下落し、より好ましい語感を求める傾向があります。カタカナ語、カタカナ表記はひらがなや漢字に比べて語感が高いので、新しいものを生み出す現場で多用されるのは自然なことで、今後も増え続けるだろうと思います。
みなさんは、このような言葉を英語に訳するとしたら、どうしますか?
まず、元々の意味をそのまま当てはめてみますよね。
キセキならmiracle ミライならfutureと。もちろん、それでいいと思いますが、一方で、元の日本語が奇跡、未来であっても同じになるなぁ、とも思いませんか。つまり、わざわざカタカナを使った作者の思いまでは伝わらないような気がするのです。
作者には、「奇跡」でもなく「キセキ」にしたい理由があったのでしょう。
その理由はさまざまで、新しい語感を与えたい、「奇跡」では表せないもっと特別なものであることを伝えたい、軽快な印象を与えたい、トレンドワードだから、などが挙げられるのではないでしょうか。例えば、キセキというカタカナ表記が、最近若者に人気の歌手のヒット曲に使われ、若者の間でイメージがよく、SNSでよく使われるようになっている、という背景があるのかもしれません。そういう若者にも訴求させたい、という作者の意図が理解できます。
つまり、カタカナ気分の語には、それなりのボリュームの背景と作者の意図が込められているようです。
日本の文化の中で生活する日本人であれば、それらは自然に共有している言葉の使われ方に関する経緯、共通の文化的背景だったりするので、見た瞬間に頭の中で背景情報が処理されすんなり伝わるでしょう。
でも、いざ英語にしてそこまで分かってもらおうとするとき、工夫が必要になってきます。
例えば、作者に話を聞いて背景や意図を明らかにすること、「キセキ」が使われている他の翻訳例を調べて参考にしたりするなどの手間をかけることで、より満足の高い英訳に近づけるのではないでしょうか。その特別な語感を大事にして、Kiseki Miraiなど、そのままローマ字表記をして、補足説明を加えたりすることも一案です。
簡単に表す方法は見つけらない。
その方法を探って、気分の伝わる英語に近づけるのが私たちコーディネーターの役目でもあるんじゃないかなと思う今日この頃です。
(難易度は高いんですけどね。)