CJコラム

ターゲットとなるユーザーのために行う翻訳とは ~村上春樹の小説を例に~

この半年ぐらいの間、中国snsでよく見る話題・議論の1つに「村上春樹の小説を中国語に翻訳する三人の有名な翻訳者(林少華 氏・頼明珠 氏・施小煒 氏)の中で、誰が一番上手いか。という話題があります。中国人コーディネーターの筆者としては、この話題から「日中翻訳業務」・「翻訳観」について話したいことが沢山あります。

小説は複数の翻訳者による様々な訳本とバージョンがあります。
読者は自分の好みに従って、一番好きな訳本を読むことが出来ます。
しかし、メニューや製品パンフレットはそれとは異なります。現在の筆者の仕事として、製品パンフレットやレストランメニューなどの案件もよく出てきますが、メニューや製品リストは、その店もしくは、その企業で一つのバージョンしか存在しません。これは、一つの固定した内容で確実に一定量の情報を伝達する役割を持った、専門性の高い翻訳物と言えます。良い製品パンフレット、良いメニューとは、一つのバージョンのみでユーザーに重要情報を的確、且つ簡潔に伝える内容を含んだものであり、ユーザーが他のバージョンを必要としなくてよいもので
す。


ここで筆者である私の経験、考えを少し述べたいと思います。
私は、中学校時代から通訳者の父から翻訳の練習を学びました。中国の翻訳業界に「信・達・雅」と言う基準や、「直訳」と「意訳」という区別が存在していることを認識し、翻訳の特訓が始まりました。今でも、その基準をしっかりと守っています。

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「信」は意味の正しさ。
「達」は分かりやすさ。~その言語はネイティブとして通じるか?~
「雅」は美しい言葉で、味わい豊かに、適切に表現すること。

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筆者のようなコーディネーターは、翻訳者とクライアントの間の「媒介者」でもあり、ユーザーと翻訳者の間の「媒介者」でもあります。特に後者、「ユーザーと翻訳者の間」の役割が一番重要だと思います。正しく翻訳をするだけでなく、上記の「信・達・雅」のような、全ての基準に沿わなければ、情報をユーザーに理解してもらえる素晴らしい翻訳文を作ることはできません。

ここで、最初の話題に戻ります。
村上春樹の小説の翻訳者達についての議論がたくさんありますが、現在の中国国内では、林少華氏の翻訳文が一番人気があります。林氏の翻訳文に関して「誤訳の容疑者」、「言葉は美しいが、元筆者の言語習慣を守っていないのではないか」など酷評もありますが、「村上春樹の作品が中国で人気になっている状況で、林氏の翻訳文は重要的な役割を果たした」などという好評もたくさんあります。人それぞれ受けとり方や感じ方は違いますが、台湾の頼氏、上海の施氏の翻訳文よりも、林氏の翻訳文はより美しく、より強く読者の心を魅了する力があると感じる人が多いのでしょうね。林氏の翻訳文は中国国内で一番人気があります。

翻訳とは、良し悪しが明確に存在するわけではなく、ターゲットとなるユーザーが「良いものか?or悪いものか?」を判断するものだと思います。製品パンフレットやメニューなどの翻訳は、小説の翻訳よりもっと強い目的と指向性を持っています。
ユーザーがメニューや製品パンフレットを見てオーダーし、料理や製品がユーザーの手元に届き、会計を済ませて初めて、メニューや製品パンフレットの使命が果たせたことになります。
ユーザーの心を引き付け、購入してもらえるかどうかは、メニューや製品パンフレットの翻訳が非常に大きな役割を担っています。このため、メニューや製品パンフレッを翻訳する際は、ユーザーの観点から見た利便性を重要視し、翻訳基準として確立すべきでしょう。そして、市場・ユーザーが受け入れるかどうかの判断を翻訳業務の基本的な方向性として認識する必要があります。

 

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