アメリカ人である私にとって、日本人の直訳の英語を読むとき、迷って頭を抱えこんでしまうことがしばしばあります。
ライティングスタイルや考え方が慣れ親しんできたものと大きく異なるからです。これはつまり、日本人にとっても外国人によって書かれた文章には、同様の感覚を抱くということが言えます。
文章のライティングにおけるこうした文化的な違いは、日本だけに限定したものではありません。
例えば、ガブリエル・ガルシアは、「英語とスペイン語のライティングスタイルでも大きな違いがある」と言います。
英語のライターは形容詞や副詞の使用を最低限にし、短くて明確なセンテンスを使用する傾向があるのに対して、スペイン語のライターは長いセンテンス、飾り立てた言葉を使用する傾向があるそうです。
1960年のロバート・カプランによるESLの学生に関する調査によれば、議論の流れについて5つの文化的傾向の特徴があるとされています。
・英語(北米)のライターは、直接的かつ一直線上に展開する方法で議論を提示する傾向。
論拠に従えられた書き出しをその論題とします。
・セム語(ユダヤ、アラビア、アルメニア)のライターは、並行した提案や話を議論の各点に埋め込んで提示する傾向。
・東洋(アジア)のライターは間接的かつ、強い要求ではなく権威に対して敬意を払った議論を提示する傾向。
・ロマンス語(スペイン、イタリア等)のライターは、議論は回り道し、読み手が結論に至るまで時間をかけたがる傾向。
・ロシア語のライターは、ロマンス語のスタイルと類似していますが、比較的文章構造への縛りが少ない傾向。
これらは、多くのライティングやコミュニケーションの中に存在している文化的な違いを捉えるために、少々単純化された一般論になっています。なので、いくつかの英文ライティングに関する典型的な問題点に触れていきたいと思います。
英語は・・・・間接的コミュニケーションを好む日本のようなコンテキストを多く含む文化の読み手からすれば、
直接的すぎる傾向を感じられるでしょう。
・文章に印象性や遊びの要素を期待する言語を使用する文化圏の読み手からは、簡素化しすぎていると思われるでしょう。
・決定を留保し異なる事実を結びつけていくことを好む読み手の文化圏では、あまりに幼稚すぎると、
背景情報とともに議論がなされるでしょう。
・最後まで結論を明かさないような文化圏においては、説得力のないものだと思われることでしょう。
このように、異なる文化圏の人々からすると、英語への不満はまだまだ出てくるに違いありません。
ライティングスタイルにおける文化的な違いは、母国を離れて在住している「外国人」にとって大きな課題と言えます。留学生であれば、在学期間中は就学先の国のライティングスタイルを学ぶことに格闘するでしょう。そして帰国し、コミュニケーション問題の原因となっていたライティングスタイルを生かしていく方法を見つけるかもしれません。ライターたちは日本と外国の双方の顧客満足度を追求していますし、外国のクライアント担当者は、その違いに対して難しいバランスを取ることを迫られるでしょう。