多言語版の制作の基本~その7 日本語はニュアンス中心~
前回のコラムで、機械翻訳では細部のニュアンスが省略されてしまう箇所がありました。
A:「昨日は海に行ったよ」
B:「昨日はレストランにも行ったよ」
A: "I went to the sea yesterday."
B: "I went to a restaurant yesterday"
「昨日はレストランにも行ったよ」と「昨日はレストランに行ったよ」は、日本人的にはニュアンスの違いがあります。「も」という1文字の違いだけで、ニュアンスが変わりますし意味が違ってきます。
翻訳や通訳での自然な会話の流れとは、翻訳原文にないニュアンスをくみ取った上で、話し相手は読み手の欲することを補足して、会話や文章を続けるという作業となります。
一方で、こうした「補足」はともすれば、蛇足となり不要な翻訳と言われることも少なくありません。また、場合によっては、意図することと違うので誤訳だと言われる場合もあります。
ここで言う「翻訳原文にないニュアンス」とは、会話している人たちや文章の書き手と読み手との間での共通認識が読み取る意味内容と言えます。つまり、「言わなくても」お互い分かっているという認識領域です。
日本語は「曖昧だ」とか言われることがよくありますが、日本語という言語体系が曖昧なのでしょうか?そうではなく、日本語の言語体系が根付く社会関係性が「言わなくてもわかるよね」に依存した関係性ではないかとも言えると思います。つまり、翻訳という作業を通して自然な文章に仕上げるということは、翻訳言語自体への知識だけではなく、その言語を使用している社会での共通認識が共有できていることが不可欠なのです。
外国人にとって、日本語は難しいのは言語的な難しさに加えて、文化圏としての認識的違いがあげられます。機械翻訳のレベルが向上していくことで、たった1文字の持つニュアンスも心をとらえた翻訳になっていくかもしれません。