CJコラム

「翻訳」を越えて #1 ―なぜ《広告のプロ》がいるのか?

一般化の進む翻訳の世界

翻訳は必要です。言語の違いを越えたコミュニケーションへの必要が高まっている昨今ですから、業種に関わらず翻訳という仕事は、いよいよ注目されてきていると言えるでしょう。あちこちの企業において英会話の能力が雇用判断のより大きなファクターになってきていることも明らかですし、相当の英語の運用能力を持った方々が増えていることも確かです。そんな中で、「翻訳」という業務プロセスも一層一般的なものになってきたと言えるかもしれません。

ただ、「翻訳」とひと言に申しましても、いろいろな目的やレベルがあります。翻訳の種類についても、よく知られているところで言えば、意訳とか逐語訳(直訳)などの言葉を耳にします。目的次第でそれに相応しい翻訳の在り方というものが存在するわけです。突然来てしまった英文メールのように身内だけで情報共有をするために訳される文書もあるでしょうし、学術論文のようなものから、法的な効力を持つ契約書や特許申請書などのドキュメントまで、さまざまな翻訳の需要があります。当然、それぞれに求められるレベルもスタイルも色々です。

あなたのコピーは翻訳で十分なのか?

ここで取り上げたいのは、広告やカタログ、そしてウェブなど、公共の場に出て行く文字原稿についてです。一般の方々の目に触れるテキストを広い意味で「コピー」と呼ぶことにしましょう。海外向けの広告を打つ際、また訪日外国人をターゲットとしてウェブ制作をする時。そうした折りに和文原稿を翻訳して、そのままそれを広告コピーとして印刷したりウェブサーバーに上げたりしていないでしょうか? 特にウェブについては随分判断が甘くなっていないでしょうか?

実際、翻訳された原稿が外に出ていっても、それで大丈夫だと考えている方はまだまだ多くいらっしゃいます。こうした認識不足によって英文コピーなどが英語としておかしなまま流通してしまっていることが多々あります。わたしたちは英語が活字で書いてあれば、正真正銘の英語なのだと思いがちですが、英語を母国語とするネイティブの目から見ると、おかしいと感じたり、意味の分からないと感じるものはまだまだ多いのです。言語を業務として扱っている立場からしても、翻訳に対する過信が明らかな場合があります。ある種の海外向けコピーが、特定の和文をベースに作られたことがその質から容易に想像できるからです。

考えてみれば当たり前ですが、英語のコピーには英語ならではの語り口やロジックがあります。それは日本語には日本語のコピーの語り口や工夫の余地があることを思えば想像できるかもしれません。でも、広告表現を考えようという場面でも、対象言語が外国語になってしまうと、突然その質の問題に関して、判断が甘くなってしまうのです。それは英語の品質が本当の意味で判断できないこと、判断できると思い込んでいることなどが原因としてあるように思われます。

翻訳家とライターの役割

「すぐれた翻訳には、意味の翻訳だけではなく、コンテクスト(文脈)の翻訳が必須だ」とはよく聞くことですが、文脈の翻訳がきちんとできていても、表現として不十分な部分がでてきてしまうのは、広告の世界ではまだまだ一般的です。あれほど日本語のコピーにこだわって時間をかけたのに、それが英文になったとたん、不思議なことに「翻訳原稿でいいや」となってしまうのです。これは落とし穴です。

ところが、翻訳者の能力は千差万別です。翻訳の質を決めるのは、訳される「元の言語」についての知識もさることながら、訳された後の言語に関する運用能力が最終的な決め手となります。どんなに元の言語に通じていても、訳された後の言葉が未熟であると、最終的な作品としての「翻訳」は質の低いものとみなされざるを得ません。

質の高い翻訳を上げるのには、良い翻訳者との出会いが必須です。運が良ければ良い翻訳者と出会えるかもしれません。お金を積めば出会える可能性も高まるでしょう。でも良質の原稿/コピーを手に入れるのに「良い翻訳者との出会い」という偶然にだけ依存するのは、リスクが高すぎます。信頼できるプロの文章の専門家の存在というのは、ここで必要になるのです。こうした文章の専門家を、広告業界ではコピーライターと呼んでいるのです。

今後、こうしたコピーライターの役割を、弊社コピーライターが英文ネイティブの視点、そして海外向け広告/プロモーションツールの多くを長年にわたって手掛けてきたプロの英文ライターの立場の両面から語っていくことになります。また、日本と海外文化の双方の狭間で、調整役の仕事をするコーディネーター自身による経験談も織り交ぜて掲載予定です。ご期待下さい。

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